学生時代 お好み村
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- 公開日:2012年01月31日(火)08:33
私は、4年間広島修道大学で過ごしました。 学部学科は言えません。
恥ずかしくて。学生時代の多くは、クラブ活動(バドミントン部)の時間に
あてていました。その次に勉学?(講義に出ないと単位が取れない)かな。
そして、定番のアルバイト。アルバイトは、家庭教師からバーテンダーまで
幅広くしていました。
広島の食べ物と言えば、...... かき、もみじまんじゅう、お好み焼き。
私は、週に2,3回 八昌(お好み村 2階)でアルバイトしてました。
1年の冬からアルバイトに... 当時のお好み村は、鉄骨むきだしの汚らしい、
すきま風が吹きぬける2階建てのボロボロの建物でした。勤務時間は
夕方5時から翌朝5時までの12時間。時間給は800円でした。一晩
働くと約1万円になる、当時としては割のいい仕事でした。
最初は見習いからで、仕事は皿洗いと出前持ち。
皿洗いでは、よく手を切ってたな~。
シンクは常にきれいにしておくのだけど、団体さんが帰られた
後は戦争状態。鉄板を拭いた雑巾とかねのたわしが飛んでくる。
コップをスポンジで洗っていると、人差し指の付け根に違和感。
スパッと切れて、血がとぼとぼコップで切った傷はだんだん
痛みが出てきて.... 指を切った日は、洗物係から解放されて
出前持ちのみに。
出前持ちは、夜のお店がほとんどでした。
ローズって言う麻雀やさんが近くにあって、そこのおばちゃんが
お客の注文をしてくるんだけど、しわがれた独特の声で電話してくるんです。
懐かしいな~。あのお店があった辺りは再開発で変わったから....
お好み村だってビルになったから当然かも。
スト〇○〇劇場のお姉さまに出前を持って行ったこともあるんです。
初めての時はなんだかドキドキしたものです。
出前で怖い目に合ったことが...... 夏の、暑さが残る7時くらいだった。
注文は、ビールととんぺい焼きとお好み焼き(今でも覚えてるのがすごいでしょ。)
『何でビールも?』と思いつつ。たくさん(店長)が、1万円からのおつりを
用意してくれて、注文の品を持ち出発。
ピンポーン 『八昌で~す。』『悪いな兄ちゃん。』視線を上げていくと
すててこ さらし(腹巻) さらに もんもんが描かれて。
案の定1万円を差し出されました。店長は最初からわかってたのか?
次の日のニュースで、私が出前を持って行ったビルで発砲事件があった。
本当に危ない出前持ちでした。
お好み焼きにはキャベツがつきものです。八昌では大きさにもよるけど
10数個のキャベツが一晩で消費されていました。皿洗い係、出前係の
次はキャベツ切、ネギ切です。キャベツは千切り。ネギは小口切り。
包丁で切るものは、味噌汁の具、カレーの具くらいのもので、千切り
小口切りなんて.... 普通の男子はそんなものでしょう。
キャベツを切るのは、引き切り。 4分の1にしたキャベツの芯を
取り除き、大きい物体のまま千切りを開始。 定規となる左手の人差し指
は気の毒なくらい何本かの傷跡が...
ネギを切る量も半端なく多く、切り始めると周辺がすごい臭い。5分も
すれば目は真っ赤。左手の人差し指は摩擦でこすれ、ネギの汁が
しみて痛い痛い。
次のステップは、生地延ばし。広島焼きの生地は、何か特別なものの
ように思われているようですが、八昌では、小麦粉、卵、水と言った、
とてもシンプルなものです。小麦粉、卵、水をよくかき混ぜると出来上がり。
おたまにすくった生地を鉄板に流し落とし、中心から外側に向け円を描く。
厚すぎず、薄すぎずのころあいが難しいんです。
この生地には2つの役目があるんです。キャベツ、もやしなどの具を
載せる台、もうひとつはひっくり返してからの蓋(蒸し焼きにする)の役目。
なかなか丸くきれいにできないんです。今でも。
このころから、へらの使い方持ち方も習ったな~。
ここまでくると、簡単なメニューは作らせてもらえるようになります。
焼肉、とんぺい焼き、焼きそば。