第62回AJISU駅伝大会

平成23年12月11日(日)AJISU駅伝が開催された。もともと地域対抗として運営されていたが、参加チームの減少により、数年前より一般参加チームの募集を開始し現在に至っている。ローカルな駅伝ではあるが、参加チームは60チームを超える。

 区間を紹介しよう。

   1区  阿知須地域交流センター前 ~ 元気ランド前            4,200m

   2区  元気ランド前          ~ 井関小学校前           4,400m

   3区  井関小学校前         ~ 向井関・仙在公民館       3,500m

   4区  向井関・仙在公民館     ~ 赤迫公民館             2,000m

   5区  赤迫公民館           ~ 阿知須地域交流センター前  2,600m

                                 合計距離       167,000m

1区は、花の1区と呼ばれ、各チームのエースを投入する区間である。阿知須地域交流センター前をスタートし、駅前の交差点を左折し澤田事務所を右手に見える時にはきらら浜南交差点の信号が目に入る。この交差点を南下し阿知須漁市場の前を通過しさらに直進する。

緩やかな右カーブを過ぎると、このコース最大の難所の上り坂にさしかかる。私も、過去のレースで辛い思いをした坂である。この坂を登り切ると右折し狭い路地(道幅4m未満)をしばらく走ることになる。ただ登った分、ここから緩やかな下り坂がいっとき続く。加速し気分よく走っていると、左右にうねりがある急な下り坂が始まる。3箇所目の左カーブを抜けると平坦になり足が重たく感じる。昔栄えた商店街を抜けると、銀行が立ち並び(えっ?)右折すると、駅前の通りに戻り焼き鳥かかしの前にさしかかると残り1kmちょっと。砂郷の住宅街は緩やかに上り坂。さらに選手の足に負担がかかり最後の踏ん張りどころ。残り500mとなりスパートがかかる人とそうでない人の差が。きらら浜北の交差点(元気ランド前)が中継点となる。

2区は、区間最長コース。ただ前半は大した登り下りがなく走りやすいコースと言える。3区と同じく応援の声はまばらにしか期待できない。緩やかな登り坂を上りきると、左手に私が夏の夜、早朝とよく通う、くわがたの雑木林を通り過ぎる。宇部線岩倉駅の踏切を駆け抜け、国道190号線のアンダースルーを越えると左折する。左右にまばらに民家が見えるが、周囲は田畑が続く。電気屋さんの角を右折するとコース1番の傾斜のきつい下り坂を一気に駆け抜ける。待っているのは正に田んぼのど真ん中に続く農道。ゴールは高台にある井関小学校。視界には早々見えているがなかなか近づかない。だらだら続く真直の道、応援の少ないこの区間は選手にとっては景色も変わらずスピードの上がらない場所。途方に暮れそうな一本道。この一本道に別れる前に、残り500mの赤いライン。選手は最後の力を振り絞り、高台の井関小学校へ。

3区は、登り下りの多いコースである。スタートしてすぐに上って下る。右折して下り坂へと突入。吉南コートの横を通り、県道を越え橋を越え右折し川沿いの道を走る。この辺りは応援が期待できない。さらに橋を渡るため右折し、橋を渡りきるとすぐに左折。ケーキ屋の天使の夢の前を通過。しばらく川岸の道を井関川の上流方向へ走ると、又橋を渡る。右手には浄土真宗 明栄寺が見える。 

その横を走り束の間の住宅街を抜けると民家もまだらになる。株式会社ウインドまでくると残り500m。コース後半の難所はここから。

登り坂を上がり農免道路を横切ると目の前に下りがあり、下った分登るコースが見えてしまう。最後の力を振り絞り登ると、中継地点まで下り坂。距離は短めだが何とも足腰にくる区間である。

4区は、コース最短の区間。スピードが要求される区間。登り下りは前半だけ。下りから入るこの区間は最初にスピードが出過ぎて、マイペースを掴めないまま左折すると緩やかな登り坂。登りきると一気に下り坂。

 

 

伊勢講座

10月29日、30日にかけて、青年塾(志ネットワーク)東海クラスの伊勢講座に特別参加させて戴きました。白井さん(西地区の塾頭)の呼びかけで、白井夫婦、橋本先生(薬剤師)と私澤田誠の5人で参加しました。伊勢には常々行きたいと思いつつ行ったことがない場所で、思い切って参加を決めました。要項をもらうまでは、半分観光気分でしたが朝から夜中までスケヂュールがいっぱいでびっくり。持参品にも驚かれました。マイコップ、マイ箸、マイスリッパ、エプロン、三角巾、水筒、それに正装。正装ってスーツのこと? なんなん・・・ わけがわからないまま持参品を準備しました。

当日は、白井さんのお迎え(レクサス)で新山口駅まで行き、新幹線(グリーン車 新婚旅行以来何年ぶり?)で名古屋まで行き、近鉄の特急で宇治山田で下車。所要時間約5時間。近鉄の車内は、燦々と太陽の光が降り注ぎ正に小春日和。橋本先生は、『私は晴れ男なんです。やっぱり晴れた。』と、ご満悦。『嫁は、雨女なんです。それも激しいんです。私が伊勢に行くと、山口は大雨でしょうね。厚狭の花火大会は、雨の中やるのかな?』橋本先生は、天気の成り行きにめちゃくちゃ満足そうでした。『あっ、嫁からメール。厚狭の花火は中止。やっぱり。』と天気の話で盛り上がり、あっという間に宇治山田駅。

昼食は、伊勢名物の『てこね寿司(新鮮な鰹を手でこねた刺身がごはんにのっている)』、『伊勢うどん(黒いだし汁が底にあり、太い麺の上に刻みネギ』を食しました。

昼食を終え、講座へ合流 

『式年遷宮から学び』  山田工作所(宮大工)の見学

伊勢の神宮は、20年おきに建て替えが行われます。次の遷宮は平成25年に行われ、第26回目になるそうです。すごい歴史があるんですね。

使われる材木は、もちろん檜です。かんな屑を手に取ると、檜の香りが心地良かったです。工作所には、宮大工59人を含む140人程度の大工が勤務されているとか。

『外宮(豊受大神宮 豊受大御神)普通参拝』(正装) 案内 公益財団法人 修養団 講師 寺岡 賢様

半分観光気分で参加した私は、予定表の正装の文字に気が付き、慌ててトイレに駆け込み正装へと変身。気温は10月末とは思えない暑さで、着替えるのも一苦労。どうにか団体行動を乱さずに済みました。橋本先生の力はあっぱれです。山口は花火大会が中止になるほどのどしゃ降りなのに・・・・・

スーツになって益々暑くなり、やれやれと思っていたら参道を通りかかったら、ひんやりとした落ち着いた冷気が流れてきた。あっこれだ!と瞬間に感じました。神聖な空気を感じる事ができました。外宮は、左側通行、内宮は、右側通行なんですよ。できるだけ遠くから神殿へ近づいていく為に、設けられているのだそうです。外宮の神殿は、右奥、内宮の神殿は、左奥にあるんです。今までは、知らないから真ん中を大手を振ってお参りしていました。 反省。。。

『日本人としての心の現在地』 田中正人先生

最も反日的な国は日本? 私も含め我々日本人のルーツを正確に話せる日本人がどれだけいるのでしょうか? こんな国世界を探してもとっても珍しいことすら知らなかった私。もっと自分の勉強をしなくてはいけない。

良き人間である前に良き日本人たれ(良き日本人になる以外に良き人間になる道があるのか?)

日本を良く知る事。 国家観を持つ。

人生=能力(学力+金力+体力+技力)×(考え方、心の持ち方) で決まるんだそうです。

(能力 +1~+5 考え方、心の持ち方 -1~-5 +1~+5)

いくら能力がオール5でも、考え方、心の持ち方が、マイナス点であれば、人生はマイナス評価になるんですね~。びっくり、うーん納得かも?

生き方 他の人々の幸せ実現のため、自分の生命、財産、自由を積極的に活用する。こんな生き方がさりげなくできるといいかも。。。

『みそぎ修法』 

みそぎとは、なんなんでしょう? 調べたところ、簡単に言うと水で身体を清める事 だそうである。深い意味があるけど省略。

神聖なる内宮(皇大神宮 天照大御神)を、隔離するかのように五十鈴川が流れている。みそぎは五十鈴川で行われた。

勉強不足のためみそぎをどこでするのか、さえ知らず夜を迎えた。講堂に集合し、みそぎの練習が始まった。昼の暑さが嘘のように、放射冷却による冷え込みが身体を震え上がらせた。練習が終わり、着替えの指示があった。みんなに一枚づつ配布された。みそぎとはこれでなくちゃ始まらなのでしょう。田中先生の話を真剣に拝聴したせいか、何故か生涯初めて身に纏った一枚の布きれが清々しく、心地よく感じた。 

みそぎ隊は、修養団を二列縦隊で、無言で出発した。当日は、近くの子供たちのイベント(五十鈴川での灯篭流し)があり、開始時刻が遅れていた。五十鈴川がどこにあるのか、どれだけ無言で歩けばいいのかも知らない私。橋本先生、白井奥様も知らなかったと思う。足元は裸足にゴムぞうり。足元からすーすーしている。思い出しただけでもブルブルがきそう。私の隊列の位置は、後ろから2番目の右側の列。橋本先生のは、私の横、つまり後ろから2番目の左側の列、白井さんは橋本先生の前。隊列は川原に下りたようで、丸い石がごろごろ足の裏を刺激し、かじかんだ足が余計にも身体をふらつかせた。しばらく歩いて隊列へ止まる指示があった。暗闇の中、どうも右手に川の流れがあるようだ。

『右向け右』寺岡先生の声だけが響き渡る。右は確か川。もしかして私は先頭?『その場で服を脱ぐ』風を直に感じるとさらにぶるぶる。『脱いだ者から一歩前へ』『舟こぎよーい、右足前へ』『えーい、えーい』寒さの余り練習の時より大きな声が響く。この先の手順を思い出しながら、そろそろだ~。と。『流』『汗』『鍛』『錬』、『りゅう』『かん』『たん』『れん』・・・・・・・・・・・両手を組んで、顔の前から下腹部まで上下する。

『全隊、前へ』私は何かに憑りつかれたかのように、冷たいはずの水の中を躊躇なく進んで行った。(橋本先生の証言より) そうなんです。海やプールでも、下腹部入水直前で気合を入れ直すのに。私は『流』『汗』『鍛』『錬』の掛け声とともに、我に返った時は、水面より出ている部位は顎から上。『えいっ』の掛け声で、合掌し水中に沈むはずが、、、そうです、私は皆より身長が低いことを忘れていたのです。次は何だっけ、、和歌を詠むんだ。 『五十鈴川 清き流れのすえ汲みて心を洗へ秋津島人』 ぶるぶる 声が上ずり音にならない。『五十鈴川 清き流れのすえ汲みて心を洗へ秋津島人』  2回目の朗読を終え、しばし沈黙の時間。とても長く感じる沈黙。川の流れに身体を支える為、私の短い足は、川底の不安定な石を掴み一生懸命でした。自分の夢や小さな事を願うのでなく、日本人の行く末に幸あれ、、、、と、思うようにと言われたように記憶があるが、3回目の、最後の朗読を終え、川岸に上がる指示があった。正直ここまで我を捨てた事は生まれて初めてであった。溺れそうにもなったし、気が遠くなる感覚も味わった。だけど、この水行を乱してはいけない。私のせいで皆のみそぎを邪魔してはいけない。それ故、川原に上がって寺岡先生の言葉に素直に反応した。お互いに称えあいましょう。橋本先生と、白井さんと抱き合い、背中をたたき合い、共に同じ事を終える事ができたことに感謝した。これにて私の初めてだらけのみそぎは終わった。上甲塾長をはじめ、30名余りのメンバーに感謝します。有難う。ちなみに、私の真後ろにいた橋本先生は、私、澤田の憑りつかれたようなみそぎの一部始終を目撃したようだ。あ~恥ずかし。

冷え切った身体は、お風呂で十二分に温めた。橋本先生と私は、身体の芯まで冷え切ったと思われ、30分~40分は浸かりぱなし。白井さんは何故か、早く上がられ我々の二人の時間を遮るようにやってきた。『懇親会に参加して下さい。』 と。すでに時計は23時を回っていた。言われるままにお風呂から上がったものの、脱力感のあまり懇親会へは参加する元気がなかった。すると、白井さんは、わざわざ我々の部屋まで呼びに来られた。元気をふりしぼり懇親会場へ。会場は賑やかに、楽しく盛り上がっていた。お決まりのように、我々2人の聴講生に自己紹介するように。 と。 私は、何をしゃべったらいいかわからず、みそぎの一部始終を話した。しょうもない話なのに、共感ってのは怖いもので、皆さん壺にはまったようにうけていらっしゃって、特に鏡子さんはこの話をきっかけに、『みそぎの反省会をやりましょう。』と盛り上がってしまいました。

『内宮特別参拝』(正装)

6時に起床し、正装で集合とのこと。

6時30分、内宮へ向けまたもや2列縦隊に。いやな隊列。寺岡先生の、『颯爽と胸を張って歩きましょう。』の言葉に、最初は意味がわからなかった。だけど、鳥居に差し掛かる度に隊列は止まり順序良く一礼をし前進していく様は、他の参拝者の目にどのように映るのであろう。自信と誇りに満ち溢れる2列縦隊の隊列の一員であることに感謝せずにはおれなかった。内宮はちなみに、右側通行です。なんででしょう?

我々は、特別な場所での参拝をすることができた。内閣総理大臣もこの先へは入れないそうです。

 膝をつき、 公 の祈りを。 

『おかげ横丁の志を学ぶ』 橋川社長の講和

おかげ横丁は、第61回神宮式年遷宮の年、1993年(平成5年)7月16日に、伊勢神宮内宮宮門前町(おはらい町)に開業しました。開発主体は赤福で、事業の運営は有限会社伊勢福が行っているそうです。

おかげ横丁を立案し、企画、運営をされてきたのが、橋川社長。 彼は、松下政経塾の一期生。彼が目指すもの、目指してきたものは、

    お金を使う場所から、時を過ごす場所へ

    刺激的な情報から、心を満たす情報へ

    価格満足から、感覚満足へ

    観光地から、地域の魅力が集まる町へ

だそうである。確かに、座る椅子の多さにはびっくり。観光客は、椅子に腰掛けゆったりと流れる時を感じている。日常のありふれたもの、懐かしいものが沢山目についた。橋本先生の自慢がたたったのか、橋川先生の講義の途中から雨が降り始めた。